2019年04月30日

「平成うろ覚え草紙」洞田創 監修

「平成うろ覚え草紙」洞田創 監修著者は江戸時代の浮世絵師、歌川芳細(うたがわよしこま)で、1860年(安政7年)に出版されましたが、すぐに幕府により発行禁止となり、少部数しかないようです。
1971年(昭和46年)群馬県前橋市の旧家の蔵の中から発見されましたが、意味不明な絵が多く学者から無視されていました。最近、再調査され、平成の社会と符合するところから大発見となったのです。洞田創が現代語訳をしています。
ある絵師が、誰も見たこともないものを描きたいと願っていると、遥か未来の末法の世に迷い込んでしまい、しばらくして戻ってきたが、ショックで記憶があやふやだった。そこで描いたものです。
杉風邪という奇病がはやっているとか、回り階段というのはエスカレーターだし、屑吸桶というのはルンバのことらしいです。
大空木(おおうつぎ)というのは絵から察するにスカイツリーで、当時日本一の巨木だったので見物人が絶えなかったらしいです。
千里鏡というのは、遠くの景色が映る鏡で、テレビですね。本書の多くは千里鏡を通した見聞が元らしいです。
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posted by エダヤスオ | Comment(0) | ノート>本
2019年04月28日

北原ビル(神田岩本町)

北原ビル(神田岩本町)
千代田区神田岩本町、柳原通りにある北原ビルです。和泉橋近くの昭和通りから入ってすぐです。1927年(昭和2年)竣工の4階建てで、清水組設計施工です。4階は後から増築したのかもしれませんね。
角の「らーめん汐屋まる長」は2017年夏に閉店しています。
アカシヤ
ビル入口上の丸窓が渋いです。1階に入居している「アカシヤ」という喫茶店は2019年4月27日に閉店しました。1973年(昭和48年)創業で、正式には明石屋らしいです。昭和の喫茶店がまた一つ無くなりました。
ビルの解体の情報はないので、すぐに解体ではないようです。
posted by エダヤスオ | Comment(0) | 写真>┴レトロ建築
2019年04月27日

天王洲アイル第一公園

1天王洲アイル第一公園
品川区東品川2丁目、天王洲アイルの北東の角にある公園です。シーフォートスクエアや第一ホテルのあるシーフォートタワーの北側にあります。撮影者のすぐ後ろを東京モノレールが通っています。この公園は未完成だった第四台場跡に造られています。公園のすぐ海側にあるボードウォークの下の石垣は台場のものをそのまま使っています。海側からしか見えませんが。
天王洲アイルは第四台場を南西側に拡張埋立して造られたのですね。1853年の黒船来航の翌年、第七台場まで造成に着手しましたが、完成したのは、第一から第三、第五第六で、第四と第七は財政難のため未完成でした。伊豆の代官、江川太郎左衛門の設計です。
1939年(昭和14年)から第四台場の埋立が始まり、1961年(昭和36年)に第二台場が撤去され、1962年(昭和37年)に第五第一台場が埋立られ、品川埠頭の礎となっています。1965年(昭和40年)に未完成の第七が撤去されました。
残っているのは地続きとなった第三台場と原形のままの第六台場だけです。
posted by エダヤスオ | Comment(0) | 写真>┴公園
2019年04月25日

長屋断面(月島)

長屋断面(月島)
月島はタワーマンションも多いのですが、古い木造の家やお店も多いですね。そういう何軒か連なった長屋の一部が壊されて、新しい建物になったり駐車場になったりする場合もあります。その場合、断面は綺麗に塞がれて、残された建物を使うわけですが、切断面がそのままになっている状態を見ることはあまりありませんね。解体の途中だとありますけど。
中央区月島3丁目で発見しました。西仲通り(もんじゃストリート)からちょっと入ったところです。残されているのは串揚げ屋さんで、釜飯も名物だったようです。営業していないので、今後残るかどうか不明です。解体されたのは、バーですかね。
posted by エダヤスオ | Comment(0) | 写真>┴工事中
2019年04月24日

芭蕉庵跡

芭蕉庵跡
日本橋に住んでいた松尾芭蕉が37歳の時ここ深川に移り住みました。小名木川の北側、江東区常盤1丁目です。「古池の句」はこちらで詠まれました。ここを起点として「奥の細道」など全国の旅に出ていたのですね。
芭蕉庵の場所は特定されてなかったのですが、1917年(大正6年)の大津波の時、石蛙が見つかり、ここだと推定されました。
芭蕉稲荷
元々稲荷があった場所で、今は芭蕉稲荷となっています。ただ、ここは狭いので、芭蕉記念館は別の場所にあります。
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