2017年04月14日

幸徳稲荷神社(神田小川町)

幸徳稲荷神社(神田小川町)
千代田区神田小川町2丁目にある幸徳稲荷神社です。最寄り駅は小川町です。山城の国淀の城主、稲葉丹後之守の江戸小石川中屋敷に祀られてあったもので、当時は鍛冶屋稲荷と称していました。小さい社ですが、由緒ある神社なのですね。明治以降は町の守護神となっています。1967年(昭和43年)に幸徳会館が造られ、その2階に社を移しました。震災後に西向きだった社を元の南向きに戻したようです。
コンパクトで現代的で狭い都会の実情にあったお稲荷さんですね。鳥居が木製で目立ちませんので、幟がないと神社とは分からないかもしれません。手水鉢は石で昔のままだと思われますが、賽銭箱は防犯の為に赤い郵便受けでした。車庫の横の赤いのは消火栓です。
八丁堀にある今村幸稲荷神社が少し似た形ですかね。神社のアイコンが目立っていますけど。
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2017年04月10日

松尾神社(神田多町)

松尾神社(神田多町)
千代田区神田多町2丁目にある松尾神社です。前にも書いたのですが、神田多町は1丁目がなく2丁目のみです。一番近いのは淡路町駅ですかね。神田〇〇町というのが多いのは、神田区と麹町区が合併して千代田区ができたとき、神田の名前を残したいという思いかららしいです。
住宅商店などの小さいビルが並んでいるところにひっそりとありますが、鳥居が幅広で横棒しか見えず青緑色で目立ちません。提灯の代わりにぶら下がっているもの、たぶんプラスティック製、の赤だけが目立ちます。玉垣の上の防犯用のフェンスも神社っぽくないですね。社殿の扉がガラスですし。社殿の上を覆う大きい屋根があります。
由緒由来などは分かりませんでしたが、明治の初め頃にはすでにあったようです。
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2017年03月31日

出世不動尊(内神田)

出世不動尊(内神田)
千代田区内神田2丁目、出世不動通りのビルの間にひっそりとある出世不動尊です。お稲荷さんとは明らかに違う屋根で、横幅の狭いコンパクトサイズながらちゃんとした瓦葺きです。
徳川家の表鬼門除けとして祀られたもので、1945年戦災で本堂は焼けましたが、本尊は天草に避難していて無事でした。今の本堂は1988年(昭和63年)に建てられたものです。縁日は毎月27日ですね。相撲取りが信心すれば出世するらしいですが、仏教用語の出世は世間の出世とは違う意味なので、俗説かもしれません。
小さいけど由緒ある不動尊なのですね。
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2017年03月29日

大柳稲荷神社(内神田)

大柳稲荷神社(内神田)
神田駅から3分ぐらい、千代田区内神田3丁目の飲食店街路地の雑居ビルの間にある大柳稲荷神社です。関東大震災後に創建されましたが、第二次大戦で焼失し、昭和25年に再建されました。昭和58年までは境内に、創建時に植樹した柳の樹があったそうです。
きりりとした狐の下と幟には多町一丁目町会とありますが、神田多町には二丁目しかありません。ここは創建当時は堅大工町で、昭和8年に多町一丁目となり、昭和41年に内神田3丁目になりました。
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2017年03月10日

一八稲荷神社(神田多町)

一八稲荷神社(神田多町)
千代田区神田多町2丁目、千代田小学校の東側にある一八稲荷神社です。かなり変わった外観ですね。引っ込み思案な鳥居で、庇の下に隠れています。他に鳥居はありません。江戸時代初期に伏見稲荷からの分霊で創建され、戦前までは新銀稲荷と呼ばれていました。いまはいっぱちいなりです。防災盗難除けのご利益があり、第二次大戦でも神田多町は焼失が免れました。当時は木造の社殿でしたが、1968年(昭和43年)に今の社殿が造られました。
一八稲荷神社(神田多町)
小学校側の道路からは背中しか見えません。神社だと気がつく人は少ないでしょうね。一応、顔写真がぺたっと貼ってありますけど。
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