2020年01月13日

井上勝像

井上勝像
日本鉄道の父といわれる井上勝の像が、東京駅丸の内側駅前広場の北端にあり、東京駅駅舎の方を向いています。最初に1914年に設置され、戦中の金属供出で撤去されましたが、1959年に再建されました。工事により場所は移動していますが、2017年に今の場所に落ち着きました。台座には、「正二位勲一等子爵井上勝君像」とあります。1843年山口県萩市生まれで、萩駅前にも銅像があります。
長州藩士の三男として生まれ、長州ファイブと呼ばれる人たちとロンドンに行き、鉱山技術、鉄道技術などを学び、明治新政府で鉄道事業の推進をしました。京都と東京をつなぐ路線として中山道で進めていましたが、難工事で東海道に変更し1889年(明治22年)に完成させました。碓氷峠も1888年に開通させています。
今の東北本線、青森までも1891年(明治24年)に開通させました。1896年(明治29年)汽車製造合資会社を設立し、機関車も国産化しました。
1910年(明治43年)に視察中のロンドンで亡くなりました。
お墓は、北品川の東海寺墓地にあり、鉄道記念物に指定されています。すぐ後ろを東海道新幹線が通っています。
2020年01月12日

原敬首相暗殺現場

原敬首相暗殺現場
1921年(大正10年)11月4日、当時の首相、原敬が大塚駅職員の中岡艮一によって、東京駅乗車口で刺殺されました。現在の丸の内南口で、手前の床に丸い印があります。奥の壁に「原首相遭難現場」の説明プレートがあります。
原が政商や財閥中心の政治をし、野党の提出した普通選挙法に反対していたことなどが理由ですが、右翼との関係もあったらしいです。短刀での犯行手口は右翼が好むそうです。
中岡は死刑の求刑で、無期懲役の判決を受けましたが、恩赦で1934年には釈放されています。1980年に亡くなりました。
浜口雄幸首相が狙撃された現場も東京駅にあります。こちら。前記事では書きませんでしたが、浜口首相を狙撃したのも右翼青年でした。佐郷屋留雄は死刑判決を受けましたが、恩赦で無期懲役となり、1940年に仮出所しています。右翼活動を続けたのち、1972年に亡くなりました。
日本の首相で暗殺されたのは5人ですが、そのうち2人が東京駅で襲われています。
2019年12月08日

江戸城和田倉門守衛所跡

江戸城和田倉門守衛所跡
皇居に行こうとして出かけたのですが、人が多そうなので諦めて、行幸通りの銀杏を眺めてから帰りました。行幸通りの銀杏は背中側ですけど、日比谷通りの銀杏は見えています。
行幸通りは関東大震災復旧事業でお堀を埋め立ててできた道路で、ここが皇居の正式な入口なので、行幸の際に歩哨が立つ場所だったようです。ちなみに天皇皇后が一緒に外出する場合は行幸啓といいます。
四阿は安山岩造りで屋根は銅板葺きです。
2019年12月05日

我国最初のエレベーター専門工場誕生の地

我国最初のエレベーター専門工場誕生の地
大田区仲六郷1丁目のルネ蒲田ガーデンスティツの南側の植え込みの中にあります。半分埋もれていて、覗き込まないと全文が読めません。志茂田小学校のJR線路を挟んで東側で、新宿小学校の南方です。
我国最初のエレベーター専門工場誕生の地記念碑です。「東洋オーチスエレベーター株式会社(旧商号)は昭和8年4月この地に我国最初の本格的エレベーター専門工場を建設し、昭和59年3月千葉県山武郡芝山町に移転するまで操業を行った。昭和61年5月吉日
日本オーチスエレベーター株式会社」とあります。
エリーシャ・オーチスの起こした会社で、彼は1854年、ニューヨーク万国博覧会会場で、エレベーターの落下防止装置の実演をしました。
タグ:発祥の地
2019年10月21日

近代ボウリング発祥の地

近代ボウリング発祥の地
近代ボウリング発祥の地の碑がありました。石碑ではなく金属とガラスの組み合わせです。スタジアム通り沿いで明治神宮球場とTEPIA先端技術館の境目にあります。TEPIAの敷地内なので、港区北青山2丁目です。神宮球場は新宿区霞ヶ丘町ですので区境ですね。
1952年(昭和27年)手動式20レーンの東京ボウリングセンターができました。従業員120名でした。1961年(昭和36年)に手動式にかわりオートマチックマシンが設置されました。1994年に記念碑が建立され、2010年に記念碑をリニューアルしました。
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