2017年11月13日

ペルリ提督の像

ペルリ提督の像
増上寺の向いの芝公園10号地にあります。提督の見ている方向には、万延元年遣米使節記念碑がありますね。ペリー来航当時の文書には「ペルリ」と表記されていました。この像は日本開国百年祭のとき、ペリーの出身地ニューポート市から贈られたものです。190cm以上の大男だったらしいです。
1853年、浦賀に入港し、大統領の親書を手渡して帰りました。翌1854年、横浜沖に来て1.5ヶ月後、日米和親条約を締結しました。帰りに函館にも寄っています。
最初の来航時の4隻は、旗艦のサスケハナとミシシッピだけ蒸気船で、あと2隻は帆船でした。
2017年11月11日

キリノ大統領の顕彰碑

キリノ大統領の顕彰碑
キリノ氏はフィリピンの第6代大統領で、在任期間は1948年から1953年までです。
第2次大戦末期にマニラ市街戦で日本軍の攻撃により市民10万人が死亡しました。
1953年7月に、強い反対を押し切って、フィリピンのモンテンルパ刑務所に収容されていた日本人戦犯105人に恩赦を出し、帰国させました。憎しみより許しを選んで両国の関係を改善させたのですね。その顕彰碑で、2016年6月に建てられました。日比谷公園の幸門の近くにあります。花が置いてありますね。誕生日は11月16日、命日は2月29日ですけど。奥に見える建物はみずほ銀行本社です。
1951年、収容されていた二人が作詞作曲した「ああ モンテンルパの夜は更けて」ができ、1952年、人気歌手の渡辺はま子に、収容所から手紙と楽譜を送り、レコードが発売され、大ヒットして、多くの助命嘆願署名が集まったようです。これが恩赦のきっかけらしいです。
キリノ氏の妻と子供たちは日本軍に殺されたと言われていましたが、実は米軍による無差別爆撃に巻き込まれて亡くなったようです。
タグ:日比谷公園
2017年11月02日

砧線軌道跡

砧線軌道跡
玉川高島屋の北側のバス通りの一本北側の通りは、車道と同じぐらいの幅の歩道があって、その歩道は玉川電鉄砧線の線路の跡なのです。二子玉川から砧本村までの2.2kmの路線で、1924年(大正13年)砂利運搬用として敷設され、1945年(昭和20年)旅客用として開業、1969年(昭和44年)に廃止されました。途中、二子玉川小学校付近に中耕地駅、吉沢橋付近に吉沢駅、東京都市大学総合グラウンド付近に本郷駅がありました。終点の砧本村駅のあった場所に、以前紹介しました砧本村バス停があります。
この歩道は中耕地と吉沢の間の直線部分です。歩道上に砧線中耕地駅跡の表示もあります。
玉電は玉川線と世田谷線と砧線がありましたが、砧線は廃止で、玉川線は新玉川線となり、田園都市線に改称しました。世田谷線はまだあります。東急になっていますけど。
2017年09月30日

東京市道路元標と日本国道路元標

東京市道路元標と日本国道路元標
日本橋のたもとにあるガス灯を模したモニュメントです。1603年に架けられた日本橋は幕府により五街道の起点とされました。1911年(明治44年)に日本橋が石造りになったとき橋の中央に設置されたもので、1972年(昭和47年)に現在地に移設されました。元の位置に日本国道路元標が設置されましたが地下なので見ることができません。で、この傾斜したプレートがそのレプリカなのです。
地図で見ると日本橋は国道4号と1号しか接続してないように見えますが、国道6号、14号、15号、17号、20号も起点となっています。重複しているんですかね。
2017年08月31日

ナレースワン大王鶏

ナレースワン大王鶏
タイのアユタヤ王朝の21代王のナレースワン大王にちなんだもので、「カイ・チョン」と呼ばれる闘鶏用品種のひとつをモチーフにしたものです。
ナレースワン大王はビルマの属国となっていたアユタヤを独立させた救国の英雄です。ビルマの副王と戦況を占う意味の闘鶏で勝ったので、闘鶏がナレースワンの象徴となったのです。
世田谷区上用賀2丁目にある東京農大「食と農」の博物館の前にあります。
ムエタイを始めたのもナレースワン大王ですね。
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