2017年09月30日

東京市道路元標と日本国道路元標

東京市道路元標と日本国道路元標
日本橋のたもとにあるガス灯を模したモニュメントです。1603年に架けられた日本橋は幕府により五街道の起点とされました。1911年(明治44年)に日本橋が石造りになったとき橋の中央に設置されたもので、1972年(昭和47年)に現在地に移設されました。元の位置に日本国道路元標が設置されましたが地下なので見ることができません。で、この傾斜したプレートがそのレプリカなのです。
地図で見ると日本橋は国道4号と1号しか接続してないように見えますが、国道6号、14号、15号、17号、20号も起点となっています。重複しているんですかね。
2017年08月31日

ナレースワン大王鶏

ナレースワン大王鶏
タイのアユタヤ王朝の21代王のナレースワン大王にちなんだもので、「カイ・チョン」と呼ばれる闘鶏用品種のひとつをモチーフにしたものです。
ナレースワン大王はビルマの属国となっていたアユタヤを独立させた救国の英雄です。ビルマの副王と戦況を占う意味の闘鶏で勝ったので、闘鶏がナレースワンの象徴となったのです。
世田谷区上用賀2丁目にある東京農大「食と農」の博物館の前にあります。
ムエタイを始めたのもナレースワン大王ですね。
2017年08月18日

日本野球発祥の地

日本野球発祥の地
神保町駅近く、千代田区神田錦町3丁目にある学士会館の敷地一角に日本野球発祥の地の記念碑があります。東大の前身開成学校が創設された場所で、1872年(明治5年)アメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏が生徒達に野球を教えたそうです。翌1873年(明治6年)新校舎と運動場ができ、本格的な試合ができるまで成長しました。1876年(明治9年)初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っています。
日本に野球を伝えたホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、2003年(平成15年)に設置されました。高さ約2.4mのブロンズ製です。
ちなみに、日本初のプロ野球チーム発祥の地は埠頭少年野球場です。
タグ:発祥の地
2017年08月09日

霊岸島水位観測所

霊岸島水位観測所
中央大橋を渡る度に気になっていたので見てきました。中央区新川2丁目、佃島の対岸で、写真に見える対岸は湊3丁目で、明治初期の隅田川の河口です。
1873年6月から1879年12月までの満干潮位の平均値を算出し全国の標高の基準となる東京湾平均海面を定めています。日本水準原点は参謀本部陸地測量部があった千代田区永田町1-1-2にあり、1891年の標高が24.5000m、1923年の標高が24.4140m、2011年の標高が24.3900mとなっています。大きな地震の度に少し沈下しています。今でも観測はしているようですが、埋立により隅田川の河口ではなくなり、河川水の影響がでるため、観測には適さないようです。まあ、記念碑に近いものでしょうね。護岸工事の為に、当初の位置より36m下流側に移動していますし。実際には国土地理院油壺験潮場(神奈川県三浦市)で測定点検されています。
離島や沖縄はここの基準ではなくそれぞれ平均海面を測定して標高の基準を定めているようです。
2017年06月10日

大森貝塚遺跡庭園

大森貝塚遺跡庭園
品川区大井6丁目、池上通り沿いにある大森貝塚遺跡庭園です。JRの線路のすぐ西側で東急バスの大森操車所の隣です。
写真は庭園の中央にある縄文の広場で奥は地層の回廊です。30分ごとに霧を発生させています。
貝層
地層の回廊の右端の方に小さなトンネルがあって、進むと貝塚展示ブースがあって、実物の貝層を利用して貝塚を復元しています。貝層の拡大写真です。アサリやハマグリだけでなく、サルボウガイ、アカニシ、ハイガイもあります。縄文時代のゴミ捨て場なのです。
モース博士
この貝塚は1877年(明治10年)モース博士が発見しました。横浜から東京に向かう汽車の窓から貝層を見つけたのです。モース博士は考古学者ではなく、動物学者で貝の研究のために来日していました。
1984年と1993年に行われた発掘調査で、住居址や土器、装身具なども発見されました。出土品は近くの品川歴史館に展示されています。
タグ:公園
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