2018年09月10日

京橋大根河岸青物市場跡

京橋大根河岸青物市場跡
京橋のたもと、中央区京橋3丁目、警察博物館の向かいに「京橋大根河岸 青物市場跡」の石碑があります。左の東京高速道路の高架が元京橋川で、ここ京橋から少し上流の紺屋橋(中之橋)にかけて野菜の市場や問屋がたくさんありました。京橋川は江戸城への物資の輸送のために開削された川なのですね。市場は江戸時代から昭和初期までありました。魚市場が日本橋から築地に移転した1935年(昭和10年)に、築地に移転しました。築地の青果市場の元だったのですね。
この黄色の文字は大変読み辛いです。
2018年09月08日

京橋の親柱(明治)

京橋の親柱(明治)
以前紹介した京橋の親柱は大正のものですが、こちらは明治の京橋の親柱です。中央通り(国道15号)の警察博物館の前にあります。住所は中央区京橋3丁目です。1875年(明治8年)に架けられたものです。こちらは漢字表記ですね。
京橋の親柱(明治)
反対側、銀座一丁目交番の横、正確には公衆便所の横ですが、もう一本の親柱があります。住所は中央区銀座1丁目です。京橋川が銀座と京橋の境だったのです。1959年(昭和34年)に埋められ、今は東京高速道路ですけど。こちらの親柱はひらがな表記で「きやうはし」となっています。
2018年08月16日

石貨(日比谷公園)

石貨(日比谷公園)
公園にお金が落ちていることはたまにあります。夏祭りの後とかですかね。これは日比谷公園に置いてあるお金で「石貨」です。南太平洋ヤップ島(ミクロネシア連邦)で使われていた石の貨幣です。大理石ですかね。
これは長径1.35m、短径1mですが、直径30cmぐらいから、直径3m(5t)のものもあるようです。直径、表面の滑らかさ、形の善し悪し、運搬の難易度、によって価値が決められるそうです。これは、1924年(大正13年)頃、千円ぐらいで通用したらしいです。今の百万円ぐらいですかね。1925年(大正14年)ヤップ島支庁長より寄贈されました。1922年から1945年まで、日本が統治していたのですね。
一般的な貨幣ではなく、冠婚葬祭時に贈られる一種の儀礼的贈答品のようです。大きいものは移動が困難なので、場所はそのままで、所有権のみ移行するようです。多いときは1万個以上あったそうです。1931年まで造られていました。
タグ:日比谷公園
2018年07月13日

自由の群像(千鳥ヶ淵公園)

自由の群像(千鳥ヶ淵公園)
千代田区麹町1丁目にある千鳥ヶ淵公園内にある自由の群像です。内堀通りを三宅坂から上って行き、半蔵門の先、右側にある公園です。東京MXテレビの向かいの辺にあります。
電通の55周年を記念して、1955年(昭和30年)に、新聞事業の先覚者20名を顕彰し、自由の群像を建立しました。制作者は菊池一雄で、鋳造者は伊藤忠雄です。
自由、自尊、進取を表した三つの像です。新聞人顕彰ということで、台座が低く、見る人の目線の高さに合わせた配慮がされています。
ここを通りかかると鳩が三羽、頭の上にいるのをよく見かけるのですが、今日は一羽だけでした。
2018年07月11日

日比谷ダイビルの獣面テラコッタ

日比谷ダイビルの獣面テラコッタ
千代田区内幸町1丁目にある現在の日比谷ダイビルは1989年(平成元年)竣工のビルですが、旧日比谷ダイビル1号館は1927年(昭和2年)竣工のネオロマネスク様式の建物で、お面のテラコッタが125個取り付けられていました。発掘されたお面のテラコッタが、ビル本体と日比谷ダイビル2号館跡地の公開緑地に53個が飾られています。1号館壁面にあった、女神像と勇士像もありますね。
旧日比谷ダイビル1号館は戦後米軍に接収されて改装され、女子軍人用の米軍司令部宿舎「ホテル大阪」として使用されていました。一悶着ありましたが、1958年(昭和33年)接収が解除され、再改装されてオフィスとして使用されていました。
シンガポールのマーライオンのように勢い良くではないですが、だらだら水を吐いている獣面はこの6つだけですね。とにかく数の多いお面の目立つビルです。
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