2020年11月01日

大川端芭蕉句碑

大川端芭蕉句碑
小名木川が隅田川に合流する場所の隅田川テラスに芭蕉の句碑があります。「しばの戸に ちゃをこの葉かく あらし哉」で1680年に詠まれた句です。ふと上を見ると松尾芭蕉がいました。銅像ですけど。上は、芭蕉庵史跡展望庭園です。住所は江東区常盤1丁目です。大川端というのは、隅田川の下流域を指しています。
松尾芭蕉は、1644年三重県伊賀生まれで、1675年に上京し、1680年から深川に住み、ここを起点に西方や東北へ旅をしたようです。1694年、大阪で亡くなっています。
2020年10月25日

渋沢栄一像(大手町)

渋沢栄一像(大手町)
千代田区大手町2丁目、常盤橋公園にある渋沢栄一像です。日本橋川沿いで常盤橋のたもとで、常盤橋門跡のある公園ですが、常盤橋の復旧工事のために閉鎖中です。渋沢栄一像のまわりに工事用フェンスがあります。江戸城外郭の正門で江戸五口の一つで、奥州道に繋がっていました。
渋沢栄一は1840年埼玉県深谷市生まれで、明治の日本を代表する経済人で日本資本主義の父と言われる人です。会社だけでなく銀行、証券取引所、大学などたくさん作っています。五百社ぐらいあるそうです。でも財閥は作りませんでした。渋沢の名前が残っているのは、渋沢倉庫ぐらいじゃないですかね。
2020年09月29日

和気清麻呂像(大手町)

和気清麻呂像(大手町)
内堀通りから、皇居のお堀に三角に突き出した、大手濠緑地にある「和気清麻呂像」です。東京メトロ東西線竹橋駅4番出口のそばで、住所は千代田区大手町1丁目です。
駅のエレベーター新設工事のために長く檻の中に閉じ込められた状態でしたが、工事終了によりやっと解放されました。
1940年(昭和15年)皇紀2600年を記念して、建立されました。彫刻家、佐藤清蔵の作品です。
奈良時代から平安時代にかけての貴族で、道鏡の野望を砕き皇統を護った忠臣として知られ、光仁天皇、桓武天皇に信頼され、平安遷都にも貢献しています。
南北朝時代の武将で、天皇の忠臣として知られる楠木正成が「武」の象徴で、楠木正成像が皇居前広場にあります。一方、和気清麻呂は「文」の象徴です。文武の二忠臣が、皇居を護っているわけです。
2020年08月26日

目黒川起点(三宿)

目黒川起点(三宿)
烏山川と北沢川の合流地点で、ここから目黒川となります。暗渠化されているので、すべて緑道となります。ここの住所は、世田谷区三宿2丁目です。目黒川は、玉川通りの大橋まで暗渠です。
北烏山の高源院の弁財天堂の池が源流の烏山川、上北沢の松沢病院付近が源流の北沢川ともすべて暗渠化されています。平成になってから緑道化が進められ、ほとんど緑道となっています。烏山川緑道の方がくねくねしていますね。どちらの緑道も、落合水再生センターの高度処理水を流す人工の小川が流れています。大橋付近で目黒川に放流しています。
タグ:目黒川
2020年08月24日

葦毛塚(五本木)

葦毛塚(五本木)
以前に紹介済みなのですが、写真と記事を差し替えます。一見ロータリー風なのですが、道路中央に葦毛塚というものがあって、道路が左右に分かれているのです。
右側が目黒区五本木1丁目で、葦毛塚もその住所になり、左側は世田谷区下馬5丁目ですので、区境ですね。
源頼朝の葦毛の馬がここで何かに驚いて沢に落ちて死んだという説と、鎌倉時代の領主、北条左近太郎が仏経をもって出かけたのですがその葦毛の馬が突然倒れてここに埋めたという説があるそうです。ここら辺は昔から馬の放牧場だったらしいです。上馬、下馬という地名からも分かります。もともとは馬引沢村という地名だったようです。
葦毛塚の碑自体は1969年に建てられたものです。写真では碑は小さくて分かりづらいですけど。
タグ:区境
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