2019年06月07日

鵜木大塚古墳

鵜木大塚古墳
大田区雪谷大塚町にある鵜木大塚古墳です。環八と中原街道の交差点近く、調布大塚小学校の裏あたりにあります。裏から見たところで、右側は駐車場です。樹木でよく分からないですが、直径27m、高さ6mの円墳です。多摩川台公園内の亀甲山古墳など、この辺りには古墳が多く、荏原古墳群のひとつで、最も東にあるものです。
鵜木大塚古墳の南側鳥居
調布大塚小学校側から見ると民家に挟まれた鳥居が見えます。
鵜木大塚古墳の稲荷社
鳥居をくぐって進んで行くと、階段を少し上ったところに稲荷社の社殿があります。円墳の南側を少しかき落として稲荷社を造ったようです。
タグ:古墳
2019年05月22日

龍閑橋親柱

龍閑橋親柱
神田金物通りが外堀通りに当たる角を龍閑橋交差点といいいますが、川はありません。本石通りの隣の路地が千代田区と中央区の区境なのですが、かつては龍閑川(神田堀)で、外堀との接続点に龍閑橋がありました。現在の住所は中央区日本橋本石町4丁目です。
親柱と橋桁の一部が残してあります。1926年(大正15年)に架けられた日本最初の鉄筋コンクリートトラス橋なのです。龍閑川は1950年(昭和25年)埋め立てが完了し、橋は不要になりました。
奥に見えるのが、災害対応型給油所です。外堀通り挟んだ向かいにベネッセ内神田保育園があります。コーヒーハウスロフトもすぐ近くです。
2019年05月04日

石川島灯台(人足寄場跡)

石川島灯台(人足寄場跡)
中央区佃1丁目、佃公園内にある石川島灯台です。住吉水門のすぐ北側で、隅田川そばです。1866年(慶応2年)、石川島人足寄場奉行清水純畸が、油絞りの益金から、往来の船のために、人足を使って人足寄場南端に常夜灯を築きました。
人足寄場跡でもあるのですね。人足寄場は無宿者や軽罪人の自立支援施設で、火付盗賊改め長谷川平蔵が松平定信に提案して、1790年に設置されました。長谷川平蔵は鬼平犯科帳のモデルになった人ですね。天明の飢饉(1782〜1787年)当時、宿無、乞食、盗人が多かったのです。
1989年(平成元年)、佃公園の整備とともにこのモニュメントを造りました。下は公衆便所になっています。
2019年05月03日

黒船橋と火の見櫓

黒船橋と火の見櫓
清澄通りが大横川を渡る橋が黒船橋で、橋のたもとに火の見櫓があります。住所は江東区門前仲町2丁目です。黒船橋の親柱の上に櫓がのっていますし、欄干の一つ置きにものっています。街灯も櫓のデザインですね。後ろに見えるのが、かつて江戸市中にたくさんあった火の見櫓のモニュメントです。門前町で繁華街だったここを火災から守るという役目があったのです。
黒船橋の由来ですが、亨保年間の火事で浅草黒船町の人達が移ってきたからという説と、三浦按針が黒船リーフデ号を係留したからという説があります。
2019年04月24日

芭蕉庵跡

芭蕉庵跡
日本橋に住んでいた松尾芭蕉が37歳の時ここ深川に移り住みました。小名木川の北側、江東区常盤1丁目です。「古池の句」はこちらで詠まれました。ここを起点として「奥の細道」など全国の旅に出ていたのですね。
芭蕉庵の場所は特定されてなかったのですが、1917年(大正6年)の大津波の時、石蛙が見つかり、ここだと推定されました。
芭蕉稲荷
元々稲荷があった場所で、今は芭蕉稲荷となっています。ただ、ここは狭いので、芭蕉記念館は別の場所にあります。
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