2020年07月06日

法界塚(目黒本町)

法界塚(目黒本町)
目黒区目黒本町6丁目にある法界塚です。円融寺通りの変則五叉路にある鬼子母神堂の境内にあります。戦国時代の古書にも由緒のある古塚と書いてあり、法華寺関係の経塚か、5〜6世紀ごろの古墳ではないかと考えられています。だだし、発掘調査はされていません。
碑文谷鬼子母神堂(目黒本町)
こちらが碑文谷鬼子母神堂です。1616年(元和2年)に安藤藤八郎によって創立されました。江戸初期ですね。
2020年06月08日

化粧地蔵尊(三田)

化粧地蔵尊(三田)
港区三田4丁目、幽霊坂の途中にある化粧地蔵尊で、玉鳳寺にあります。白金高輪駅から5分ぐらいです。御化粧延命地蔵尊、白粉地蔵(おしろい地蔵)とも呼ばれている、石造地蔵菩薩坐像です。港区の登録有形民俗文化財になっています。実際に塗られているのは、ベビーパウダーです。
江戸時代に玉鳳寺の住職だった翁宗逸和尚が、八丁堀地蔵橋の畔に捨てられていた石地蔵を寺にお連れし、洗ったが傷みがひどいので、白粉(おしろい)を塗ってお祀りしました。そうすると、和尚の顔にあった痣が消えたそうです。今でも、美肌にしたい女性が、ベビーパウダーを持ってお参りするそうです。
化粧地蔵尊のお堂(三田)
お堂がこちらです。玉鳳寺山門のすぐ横にあります。この山門は檀家であった高橋是清(20代総理大臣)が寄進したものだそうです。後から知ったので、山門の全景は失念。
2020年05月21日

観音堂(五本木)

観音堂(五本木)
目黒区五本木2丁目、駒沢通り沿いにある観音堂です。お地蔵様かなと思ったら観音様でした。元は、上目黒1丁目の中目黒アトラスタワーの場所にあった、老舗鮮魚食品スーパー「ウオツネ」の敷地内にあったのですが、再開発のために、2005年(平成17年)こちらに移転しました。目黒川の側で、昔目黒川にあった水車の安全と、水死した子供の供養のために建立されたようです。年代は不明です。同じ、駒沢通り沿いです。
このビルは、ウオツネビルという名前です。実は、元魚屋の寮だったのです。のちに空家になり、再生しようということで「五本木プロジェクト」を立ち上げ再生させました。少し前まで、5proビルという名称でした。URLが不明になっていて、ビル名も変わっているので、プロジェクトは解散したのですかね。このビル1階に気仙沼の物産を扱う店があります。
あと、上目黒の「ウオツネ」は海鮮居酒屋になっています。「大樽」の向かいです。
2020年05月02日

大けやき内の庚申塔(太子堂)

大けやき内の庚申塔(太子堂)
世田谷区太子堂3丁目にある円泉寺の山門の横にある大けやきの洞の中に庚申塔があります。円泉寺は真言宗豊山派の寺院で、聖徳太子を祀る堂(太子堂)があり、地名の由来となっています。南北朝時代からあるようです。大けやきの隣に「聖徳太子之碑」があります。
円泉寺の前には、けやきの並木があるのですが、このけやきは大きく、樹齢七百年で天然記念物だったのですが、倒木の危険から上部が切られてしまいました。そのあと、門前にあった庚申塔をこちらに移したようです。円泉寺が庚申信仰の中心だったようで、庚申塔は江戸前期のものです。
林芙美子旧居
円泉寺の南西側角にあるけやきの前に、「林芙美子旧居」の表記があります。このけやきも石で囲まれて守られています。若い頃、左奥の二軒長屋に住んでいたようです。処女作「放浪記」にもここでの生活が一部描かれています。
2019年10月16日

庚申橋供養碑(東)

庚申橋供養碑(東)
渋谷区東3丁目、渋谷川にかかる庚申橋のたもとにある供養碑です。1799年(寛政11年)に建立されたもので、上部の青面金剛のほか、4面全てに橋講中世話役や万人講及び個人の名が多数刻まれています。渋谷、麹町、赤坂、芝、麻布、四谷、大久保、池袋、市ヶ谷方面から、目黒、中野、世田谷、荻窪といった広い範囲の人たちです。庚申橋を通る道は、江戸時代には重要な交通路だったことがわかります。
橋から落ちて亡くなった方の供養のためと思われます。江戸時代の庚申橋は、4本の石柱を並べた簡素なものでした。
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