2019年01月05日

朝日地蔵尊(小山)

朝日地蔵尊(小山)
品川区小山2丁目、ライフ武蔵小山店(スーパーマーケット)の横にある朝日地蔵尊です。すぐ右にあるのが、寛政元年銘石造道標です。1789年に目黒道と碑文谷道との交差点に建てられた道標です。目黒不動尊と碑文谷仁王尊への行き先を示したものです。目黒不動尊は瀧泉寺(下目黒3丁目)で、碑文谷仁王尊は円融寺(碑文谷1丁目)です。道標の説明板はあるのですが、朝日地蔵尊については分からなかったので調べてみました。
道標よりも古く、江戸初期の1667年に建立され、安産厄除け子育てにご利益があり、ここは地蔵の辻と呼ばれていたそうです。九品仏浄真寺(奥沢7丁目)の開山珂碩(かせき)上人が、修行のために夜明け前に寺を出て、増上寺(芝公園4丁目)に向かう途中、このあたりで朝日が出ることから、朝日地蔵と呼ぶようになったそうです。
2018年12月17日

子育地蔵(北品川)

子育地蔵(北品川)
品川区北品川2丁目、山手通りのすぐ北側の通り、第一京浜と旧東海道の間にあります。かつて、この地蔵堂のすぐ後ろを目黒川が流れていたのですが、川で溺れた子供を供養するために1921年(大正10年)に建立されたものです。1923年(大正12年)から目黒川の改修工事が行われ、現在のように直線化されています。蛇行していて洪水が頻発していたのですね。かつては荏原神社の北側を流れていました。
お堂は比較的新しいものですね。
2018年11月11日

五十間鼻無縁仏堂(羽田)

五十間鼻無縁仏堂(羽田)
大田区羽田6丁目にある五十間鼻無縁仏堂です。多摩川から海老取川が分岐する地点で、この先が多摩川河口、左へ行くと海老取川で、左岸が空港島です。関東大震災と東京大空襲での水難者が漂着した場所で、その人達をお祀りしています。
元は川の中に卒塔婆が1本立っているだけでしたが、1978年(昭和53年)の護岸工事で現在地に移転し、2004年(平成16年)にブロック屏、桟橋などを修理増設し現在に至ります。このお堂の下に長さ50間(90m)の石積みの沈床があり、引き潮のとき少し見えます。ほとんどは新防潮堤の下ですけど。
五十間鼻無縁仏堂(羽田)
潮が満ちると孤立しますね。その為の桟橋で、それ以前は右の階段を使っていましたが、ブロック屏で塞いでしまいました。
五十間鼻無縁仏堂(羽田)
新年の水難祈願として、初日の出とともに毎年供養を行っています。
釣り人もたくさんいるのですが、多摩川土手のサイクリングロードの終着点でもあるのでサイクリストもたくさん訪れます。実はここを何回も通っているのですが、堤防下の道路からは見えないので気がつかなかったのです。是非、自転車を止めて堤防の上へ上がってください。左へ少し行くと羽田の大鳥居も見えます。
タグ:多摩川
2018年11月05日

ぼてふり地蔵尊(鶴見区佃野町)

ぼてふり地蔵尊(鶴見区佃野町)
鶴見駅から10分ぐらい、レアールつくのという商店街の中にあります。アーケード街なのに県道14号線なのです。14時から20時まで通行止めで歩行者天国となります。住所は横浜市鶴見区佃野町です。交通量の多い末吉大通りは、市道161号線です。
江戸時代、生麦の魚河岸の魚を担いで売り歩いていた「ぼてふり」さんが、朝お地蔵さんを倒して行き、その日の商いが良かったら帰りにお地蔵さんを起こしたそうです。一番左の小さいのがそうらしいです。ぼてふりは「棒手振り」です。大空襲で焼失したのですが、2003年(平成15年)再建立しました。
チェーン店がなく、シャッターが下りているところもほとんどない、活気のある商店街ですね。ぼてふり地蔵さんのおかげです。
森永の工場が近いので、風向きによって、チョコレートの甘い匂いがすることがあります。
2018年10月16日

霜田踏切地蔵(東馬込)

霜田踏切地蔵(東馬込)
大田区東馬込2丁目にある地蔵尊で、JR横須賀線(品鶴線)の霜田踏切のそばにあります。グーグルマップで見ると単に地蔵尊となっているので踏切地蔵というのは通称かもしれません。
地元の人しか通らない交通量の少ない道路ですが、ゆるくカーブしていて、鉄道もカーブしていて、斜めに交差しています。かつて事故で亡くなった方がいて、その供養の為だと思われますが、由来とかは調べても分かりませんでした。上は新幹線です。
カーブしている場所で、鉄道写真が撮りやすいかもしれません。いろいろな電車通りますし。
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