2021年09月08日

沖田総司逝去の地(内藤町)

沖田総司逝去の地(内藤町)
新宿区内藤町、外苑西通りの大京町交番前交差点の西側です。奥が信濃高遠藩主内藤家屋敷だった新宿御苑で、手前を流れる旧玉川上水の余水吐(渋谷川)に池尻橋がかかっている場所でした。すぐ左に植木屋平五郎(柴田平五郎)の屋敷がありました。新撰組隊士、沖田総司が晩年に療養し、亡くなったとされる場所です。石碑等はなく、左の紫陽花の中に案内板があります。
沖田総司は、1842年(天保13年)(1844年説もあり)白河藩江戸屋敷詰めの足軽の長男として白河藩屋敷(現、西麻布)で生まれました。1863年、浪士組結成に参加して京都入り、分裂後に新撰組を結成、一番隊組長となり、芹沢鴨暗殺、内山彦次郎暗殺などを手がけました。池田屋事件では、近藤らとともに最初に踏み込んだらしいです。その時に、喀血したとされ、戦線離脱しています。1865年、総長の山南敬助が脱走した事件では、山南の切腹の介錯をしています。体調が悪化してからの活躍はなく、鳥羽伏見での敗戦後、江戸に戻り、植木屋で療養していました。1868年(慶応4年)20代半ばで亡くなっています。肺結核でした。
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