2022年06月07日

玉川上水の石枡(清水谷公園)

玉川上水の石枡(清水谷公園)
千代田区紀尾井町の清水谷公園に展示してある、玉川上水の石枡で、麹町3丁目で出土したものです。千代田区指定文化財になっています。1970年(昭和45年)に国道20号線(麹町大通り)の共同溝拡幅工事の際に発見されました。4代将軍徳川家綱の命で1653年に着工し、翌年に竣工しました。多摩川上流の羽村で取水し、四谷大木戸に至る43kmを開渠で導水し、江戸市中へは石樋や木樋による暗渠で配水していました。
木樋の挿入口が見えますね。同時に出土した木樋は千代田区立日比谷文化館で展示されています。江戸時代の土木技術も大したものですね。
開渠の玉川上水が残っている場所もあります。こちら
2022年05月26日

ルーパロマーナ(日比谷公園)

ルーパロマーナ(日比谷公園)
日比谷公園第一花壇の西側にある彫像で、「ルーパロマーナ」といいます。1938年(昭和13年)にイタリアから東京市に寄贈されたもので、ローマ建国の大業を成し遂げたロムルス、レムス兄弟の有名な伝説に基づいた像です。
幼い兄弟は、祖父を殺し王位を奪ったアムリウスによってチベル川に流されましたが、忽然と現れた一匹の牝狼に助けられ、その乳を飲んで成長し、成人した兄弟は祖父の仇を討ちローマを統一したと言われています。
これはちょっとわかりにくい場所にあるので知らない人もいるかもしれません。一度見ると忘れられない像ですけどね。
タグ:日比谷公園
2022年03月03日

平塚の碑(荏原)

平塚の碑(荏原)
品川区荏原4丁目、中原街道沿いにあるバーミアン荏原店の横にある「平塚の碑」です。
古くは鎌倉へ通じる古道で、江戸時代には東海道の脇街道として往来が盛んであった中原街道沿いに「平塚」と呼ばれる大きな塚がありました。
後三年の役(1083〜87年)において八幡太郎源義家をたすけた弟の新羅三郎源義光は奥州からの帰途、この地において夜盗に襲われ多数の配下を失いました。その霊を祀ったのがこの塚の由来とされています。この塚は取り壊されたのですが、1952年(昭和27年)地域の人達によりこの碑が建立され、伝承が受け継がれています。
以前、バーミアンに行った時、その奥だと思って探したのですが見つからず、最近やっと見つけました。バーミアンの横の路地を入ったところにあります。
2022年02月08日

大石良雄外十六人忠烈の跡(高輪)

大石良雄外十六人忠烈の跡(高輪)
都営高輪一丁目アパートの北側、高松児童遊園の奥に進んだところにあります。赤穂事件で大石内蔵助良雄ら17人が預けられた肥後熊本藩細川家の下屋敷の一部です。
討ち入りが元禄15年12月14日、申し渡しを受け切腹したのが元禄16年2月4日午後2時です。
大石良雄外十六人忠烈の跡(高輪)
切腹の場所は、大書院舞台側、大書院上の間の前庭で背後に池を負った位置でした。今、この背後は港区立高松中学校です。
旧細川邸のシイの木が残っています。こちら
2021年09月08日

沖田総司逝去の地(内藤町)

沖田総司逝去の地(内藤町)
新宿区内藤町、外苑西通りの大京町交番前交差点の西側です。奥が信濃高遠藩主内藤家屋敷だった新宿御苑で、手前を流れる旧玉川上水の余水吐(渋谷川)に池尻橋がかかっている場所でした。すぐ左に植木屋平五郎(柴田平五郎)の屋敷がありました。新撰組隊士、沖田総司が晩年に療養し、亡くなったとされる場所です。石碑等はなく、左の紫陽花の中に案内板があります。
沖田総司は、1842年(天保13年)(1844年説もあり)白河藩江戸屋敷詰めの足軽の長男として白河藩屋敷(現、西麻布)で生まれました。1863年、浪士組結成に参加して京都入り、分裂後に新撰組を結成、一番隊組長となり、芹沢鴨暗殺、内山彦次郎暗殺などを手がけました。池田屋事件では、近藤らとともに最初に踏み込んだらしいです。その時に、喀血したとされ、戦線離脱しています。1865年、総長の山南敬助が脱走した事件では、山南の切腹の介錯をしています。体調が悪化してからの活躍はなく、鳥羽伏見での敗戦後、江戸に戻り、植木屋で療養していました。1868年(慶応4年)20代半ばで亡くなっています。肺結核でした。
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